山桜ゆき 吉野行き(後)
吉野に到着
車で行けるところまで上って、奥千本の西行庵まで歩いた。
あいにく満開は過ぎていてお天気も小雨。
だけれども、そうはいっても吉野山。古くから詠まれてきた山。
木々の幹は苔蒸して、幹と苔が美しいコントラストを見せる。
気付くと深い霧の中にいて、空気が桜色になる。桜の空気を身に纏う。
そうかと思うと、あんなに深かった霧が、うそのようにさーっと晴れて
木々が 花々が 草たちが くっきりと浮かびあがる。
桜、というのか、、、山自体が独特の空気を持っている。
わたしはどこにいるのだろう、、、??とわからなくなる。
遠くを見ると、向かう山の斜面の彩色の美しさに
近くを見ると、まっすぐな杉が連立する美しさに
ため息が出る。
吉野は古くから歌に詠まれているけれど、
桜が出てくるのは古今集あたりから。
それまでは山そのものを詠ったものばかりなそうな。
納得です。
苔むした桜の幹はほんとうに美しかったのだけれど、
木にはよくないらしい。
蝕まれて、だんだんと中がすかすかになってしまう。
最後は皮1枚になってしまう桜もあるとか。
それでも最後まで花を咲かせつづけるそうです。そういうのもすごい。
神々しいものに触れた、贅沢なときでした。
感じたものを、ことばでうまく伝えられないのが、もどかしい。
今度は冬に行ってみたい。どんな顔をしてるんだろう。
そして、満開の吉野にもいつか出会えるといいな。
きっとまた行こう。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
はりきって一眼レフを持っていくも、
帰ってみたらばフィルムの巻上げがうまくいかない。
今回は、日頃の行いの報いをいちどにくらっている感じ。
しっかりしなさいって神様の声だね。
てわけで、写真は会社の人からもらいました。
ありがとうё